会長声明2025.01.31
広島平和記念式典の規制強化に反対する会長声明
2025年(令和7年)1月31日
広島弁護士会 会長 大植 伸
第1 声明の趣旨
当会は、広島市に対し、2024年(令和6年)8月6日に開催された広島平和記念式典の際に、何ら法的根拠もなく、広島平和記念公園全域に市民の表現の自由及び信教の自由を制約する過度な入場規制を行ったことに強く抗議するとともに、今後、このような規制を行わないことを求める。
第2 声明の理由
1 広島市は、2024年(令和6年)8月6日午前5時から9時まで、広島平和記念式典の実施場所ではない原爆ドーム周辺を含む広島平和記念公園内全域で入場規制を実施し、入場口の手荷物検査や金属探知検査を行ったが、その検査は、拡声器のみならず、楽器、横断幕、ビラ等を持ち込むことを禁止し、検査に応じない場合や指示に従わない場合は入場させないとするものであった(以下、「本規制」という。)。そのため、その間市民は、例年行っていた広島平和記念公園内での自由な表現行為を行うことができない状態であった。かかる規制の実施につき、広島市長は、同年5月16日の記者会見において、広島平和記念式典の「参列者の安全確保のために行う」との目的を説明し、また、同式典を主催する広島市は主催者としてどんな人を入れるか、どんな規制をするかは自由である旨主張している。
2 当会は、これまでも、2020年(令和2年)1月31日、2021年(令和3年)2月12日、同年6月11日と3回にわたり、広島市に対し、広島平和記念式典中の静謐を呼びかけるのであれば、表現行為を行う市民や団体等と誠実に協議を続け、法的規制によらず、議論を重ねる中での調整を続けるべきであることを求める会長声明を発出してきた。そして市民の意見を取り入れつつ慎重かつ十分な審議を行い、市民の表現の自由を制約しないよう求めてきた。
広島平和記念式典が厳粛な環境の中で執り行われることは、尊重されるべきであり、一定の規制があることを否定するものではない。しかし他方で、同式典のあり方や政治情勢、核兵器廃絶に関するわが国の対応などについて多様な意見があることも当然のことであり、意見の表明の機会もまた自由な市民社会が許容するべきものである。当会はそのような民主主義の観点から、議論を重ねて調整すべきとして、広島市が一方的に法的規制を行うことのないよう求めていたものである。
しかし、広島市は、2021年(令和3年)6月29日、「広島市平和推進基本条例」を制定し、その6条2項において「本市は、平和記念日に、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民等の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする。」と定め、法的規制を設けた。
その上、2024年(令和6年)8月6日、広島市は「厳粛」という音量の規制を超えた本規制を行った。これは当会がこれまで指摘してきた問題点を何ら考慮しないものである。
また、本規制は、下記のとおり、表現の自由及び信教の自由を侵害するものであり、民主主義の根幹を揺るがすおそれがある上、そもそも法的根拠を何ら有しないものである。
3 憲法21条により保障されている表現の自由は、民主主義の根幹をなす重要なものである。よって表現の自由への制約の合憲性については、非常に慎重に判断すべきであり、規制が必要であるとしても、規制目的の達成にとって、必要最小限度のものでなければならない。
最高裁も、泉佐野市市民会館使用拒否事件(1995年(平成7年)3月7日第三小法廷判決)において、表現の自由を制限することが許される場合として、「単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」と判断している。
しかし、単に「参列者の安全確保のため」というだけでは、「明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見」されているとは認められない。広島市は、2023年(令和5年)8月6日、デモに参加していた市民団体の構成員が、市職員にぶつかるなどした疑いで逮捕、起訴された事件を念頭に、「参列者の安全確保」が必要としているものと思われる。しかし、かかる前年の事件だけで、最高裁が判示した危険が予見されているとは到底いえない。また、広島平和記念式典会場周辺のみ、警備を強化し、実際に同式典を妨害する場合にこれを排除する等、他に取りうる必要最低限の手段もあったのであり、同式典実施会場外の広島平和記念公園全域での表現活動を、式典の前後全面的に制限・禁止することは、規制目的の達成にとって、必要最低限度の規制ともいえない。まして、広島市が「どんな規制をするか自由」ということはあり得ない。
よって、広島市が行った、2024年(令和6年)8月6日午前5時から9時までの広島平和記念公園への入場を規制した本規制は、憲法21条に反するものであり、法的根拠も欠いており、市民の表現の自由を侵害するものとして許されない。
4 また、広島平和記念公園は、慰霊の祈りの場でもあり、慰霊の祈りをささげる行為は信教の自由として憲法20条で保障される。特に原爆が投下された8月6日に慰霊の祈りをささげる行為は、極めて重要な意味を持つ。しかし、本規制によって、2024年(令和6年)8月6日午前5時から9時まで、検査に応じない場合や指示に従わない場合には、広島平和記念公園内にある広島平和記念式典実施会場外の多くの原爆供養塔で例年行っていた慰霊行事にも参加することが不可能であった。私物の検査に応じず、かつ、広島市が許容しない物品を所持したままでは、広島平和記念公園内で慰霊の祈りを行うことができないとする本規制は、信教の自由に対する制約の程度として、必要最小限のものということはできない。
信教の自由は、個人の尊厳に密接に関連する精神的自由権であることから、上記表現の自由への制限と同様、その合憲性は厳格に審査されなければならない。そのため、「参列者の安全確保のため」という目的だけで、何ら法的根拠なく、本規制を行うことは正当化されない。
よって、広島市が行った本規制は、憲法20条に反し、市民の信教の自由を侵害するものとして許されない。
5 もとより、広島平和記念式典が安全に執り行われることは、重要である。しかし、広島平和記念式典に参加ないし会場周辺に集散する市民や国民の、同式典のあり方や政治情勢、核兵器廃絶に関するわが国の対応などについての多様な意見を表現する行為も重要なものである。公園という、誰もが自由に表現活動ができるパブリックフォーラムにおいて、その多様な意見を表明することや、自由に祈りを捧げることもまた、自由な市民社会が許容し、共有しなければならないものである。
以上のとおり、当会は、表現の自由や信教の自由の重要な価値を極めて軽視し、「参列者の安全確保のため」「どんな規制をするか自由」として、何ら法的根拠なく2024年(令和6年)8月6日の広島平和記念式典において、本規制を行ったことについて、広島市に対し、強く抗議し、今後、このような規制によって市民の表現の自由及び信教の自由を制約しないよう求める。
以上
2025年(令和7年)1月31日
広島弁護士会 会長 大植 伸
第1 声明の趣旨
当会は、広島市に対し、2024年(令和6年)8月6日に開催された広島平和記念式典の際に、何ら法的根拠もなく、広島平和記念公園全域に市民の表現の自由及び信教の自由を制約する過度な入場規制を行ったことに強く抗議するとともに、今後、このような規制を行わないことを求める。
第2 声明の理由
1 広島市は、2024年(令和6年)8月6日午前5時から9時まで、広島平和記念式典の実施場所ではない原爆ドーム周辺を含む広島平和記念公園内全域で入場規制を実施し、入場口の手荷物検査や金属探知検査を行ったが、その検査は、拡声器のみならず、楽器、横断幕、ビラ等を持ち込むことを禁止し、検査に応じない場合や指示に従わない場合は入場させないとするものであった(以下、「本規制」という。)。そのため、その間市民は、例年行っていた広島平和記念公園内での自由な表現行為を行うことができない状態であった。かかる規制の実施につき、広島市長は、同年5月16日の記者会見において、広島平和記念式典の「参列者の安全確保のために行う」との目的を説明し、また、同式典を主催する広島市は主催者としてどんな人を入れるか、どんな規制をするかは自由である旨主張している。
2 当会は、これまでも、2020年(令和2年)1月31日、2021年(令和3年)2月12日、同年6月11日と3回にわたり、広島市に対し、広島平和記念式典中の静謐を呼びかけるのであれば、表現行為を行う市民や団体等と誠実に協議を続け、法的規制によらず、議論を重ねる中での調整を続けるべきであることを求める会長声明を発出してきた。そして市民の意見を取り入れつつ慎重かつ十分な審議を行い、市民の表現の自由を制約しないよう求めてきた。
広島平和記念式典が厳粛な環境の中で執り行われることは、尊重されるべきであり、一定の規制があることを否定するものではない。しかし他方で、同式典のあり方や政治情勢、核兵器廃絶に関するわが国の対応などについて多様な意見があることも当然のことであり、意見の表明の機会もまた自由な市民社会が許容するべきものである。当会はそのような民主主義の観点から、議論を重ねて調整すべきとして、広島市が一方的に法的規制を行うことのないよう求めていたものである。
しかし、広島市は、2021年(令和3年)6月29日、「広島市平和推進基本条例」を制定し、その6条2項において「本市は、平和記念日に、広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式を、市民等の理解と協力の下に、厳粛の中で行うものとする。」と定め、法的規制を設けた。
その上、2024年(令和6年)8月6日、広島市は「厳粛」という音量の規制を超えた本規制を行った。これは当会がこれまで指摘してきた問題点を何ら考慮しないものである。
また、本規制は、下記のとおり、表現の自由及び信教の自由を侵害するものであり、民主主義の根幹を揺るがすおそれがある上、そもそも法的根拠を何ら有しないものである。
3 憲法21条により保障されている表現の自由は、民主主義の根幹をなす重要なものである。よって表現の自由への制約の合憲性については、非常に慎重に判断すべきであり、規制が必要であるとしても、規制目的の達成にとって、必要最小限度のものでなければならない。
最高裁も、泉佐野市市民会館使用拒否事件(1995年(平成7年)3月7日第三小法廷判決)において、表現の自由を制限することが許される場合として、「単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要」と判断している。
しかし、単に「参列者の安全確保のため」というだけでは、「明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見」されているとは認められない。広島市は、2023年(令和5年)8月6日、デモに参加していた市民団体の構成員が、市職員にぶつかるなどした疑いで逮捕、起訴された事件を念頭に、「参列者の安全確保」が必要としているものと思われる。しかし、かかる前年の事件だけで、最高裁が判示した危険が予見されているとは到底いえない。また、広島平和記念式典会場周辺のみ、警備を強化し、実際に同式典を妨害する場合にこれを排除する等、他に取りうる必要最低限の手段もあったのであり、同式典実施会場外の広島平和記念公園全域での表現活動を、式典の前後全面的に制限・禁止することは、規制目的の達成にとって、必要最低限度の規制ともいえない。まして、広島市が「どんな規制をするか自由」ということはあり得ない。
よって、広島市が行った、2024年(令和6年)8月6日午前5時から9時までの広島平和記念公園への入場を規制した本規制は、憲法21条に反するものであり、法的根拠も欠いており、市民の表現の自由を侵害するものとして許されない。
4 また、広島平和記念公園は、慰霊の祈りの場でもあり、慰霊の祈りをささげる行為は信教の自由として憲法20条で保障される。特に原爆が投下された8月6日に慰霊の祈りをささげる行為は、極めて重要な意味を持つ。しかし、本規制によって、2024年(令和6年)8月6日午前5時から9時まで、検査に応じない場合や指示に従わない場合には、広島平和記念公園内にある広島平和記念式典実施会場外の多くの原爆供養塔で例年行っていた慰霊行事にも参加することが不可能であった。私物の検査に応じず、かつ、広島市が許容しない物品を所持したままでは、広島平和記念公園内で慰霊の祈りを行うことができないとする本規制は、信教の自由に対する制約の程度として、必要最小限のものということはできない。
信教の自由は、個人の尊厳に密接に関連する精神的自由権であることから、上記表現の自由への制限と同様、その合憲性は厳格に審査されなければならない。そのため、「参列者の安全確保のため」という目的だけで、何ら法的根拠なく、本規制を行うことは正当化されない。
よって、広島市が行った本規制は、憲法20条に反し、市民の信教の自由を侵害するものとして許されない。
5 もとより、広島平和記念式典が安全に執り行われることは、重要である。しかし、広島平和記念式典に参加ないし会場周辺に集散する市民や国民の、同式典のあり方や政治情勢、核兵器廃絶に関するわが国の対応などについての多様な意見を表現する行為も重要なものである。公園という、誰もが自由に表現活動ができるパブリックフォーラムにおいて、その多様な意見を表明することや、自由に祈りを捧げることもまた、自由な市民社会が許容し、共有しなければならないものである。
以上のとおり、当会は、表現の自由や信教の自由の重要な価値を極めて軽視し、「参列者の安全確保のため」「どんな規制をするか自由」として、何ら法的根拠なく2024年(令和6年)8月6日の広島平和記念式典において、本規制を行ったことについて、広島市に対し、強く抗議し、今後、このような規制によって市民の表現の自由及び信教の自由を制約しないよう求める。
以上