その他2015.03.13
世界遺産である原爆ドームや広島平和記念公園の周辺地域(バッファゾーンを含む)の利用に関する会長談話
広島弁護士会
会長 舩木 孝和
広島市は、世界で初めて原子爆弾が投下された都市であり、国際平和文化都市として平和記念公園の整備や原爆ドームの保存を行い、毎年8月6日には平和記念式典を開催し、広島市長が世界に向けて「平和宣言」を発信し続けてきた。
1992年(平成4年)に広島市議会は「原爆ドームを世界遺産リストに登録することを求める意見書」を採択し、同意見に賛同する全国的な署名活動を経て、国は原爆ドームを文化財保護法に基づく史跡に指定したうえで世界遺産委員会に対して登録の推薦をした。その結果、1996年(平成8年)12月、原爆ドームは「人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝え、時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑」として、ユネスコの平和遺産一覧表に登録された。
世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(以下「世界遺産条約」という)は、日本などの条約締約国に対して、文化及び自然遺産の区域を設定したうえで、締約国の有する全ての能力を用いてこれらの遺産を保護することが義務であることを明記し(4条)、さらに、締約国は、できる限り、これらの遺産の保護や保存を目的として、総合計画、職員配置、科学的及び技術的調査、法的及び行政的な措置をとることとされている(5条)。このように世界遺産条約は、締約国に対し、全面的かつ具体的に、文化遺産の保護を義務づけている。つまり、太田川河川管理を行っている国としても、護岸や橋梁の保護という視点のみならず、世界文化遺産保護の見地からの検討も求められていることになる。さらに、この保護にあたっては、世界的な視野に立ったうえでの対応が必要とされているものである。
国際社会に向けて平和の大切さを発信し続け、自らも世界遺産登録を求めた広島市は、国と一体となって、また独自の立場としても、世界文化遺産としての原爆ドームを保存及び保護する義務を負っているというべきである。すなわち、一般的な都市計画やまちづくりに関する河川法・建築基準法・景観条例等の規制のみによるだけでなく、広島市は、世界文化遺産としての原爆ドームの意義に鑑み、原爆ドーム及び平和記念公園を含む周辺地域をいかにして保護・整備するのかについての諸案を十分に整理し、条例等も含めて保護・整備のあり方を検討するべき時期に来ていると考えるところである。
このたび、元安川に係留する船上飲食店を運営するかき船(以下「かき船」という)につき、従来の位置から約400メートル上流の原爆ドーム近くの元安橋前桟橋付近に移転する計画が明らかとなった。この移転計画までには、次のような経緯があった。
1991年(平成3年)の台風19号の際、かき船が流され平和大橋に衝突し損傷を与えたことを契機として、国は橋梁保護の見地よりかき船の撤去を要請するようになった。2008年(平成20年)以降、広島市は、かき船を観光資源の一つであると位置づけた。かき船事業者は、死水域の一つとされる元安橋前桟橋へのかき船の移動を希望し、広島市は、この移動が、後述の「平和記念施設保存・整備方針」にも沿うものとして、河川管理をしている国に対して都市・地域再生等利用区域の指定要望を出し、国がこれを受けてかき船事業者に対して河川占用の許可を出した。
この今回の移転計画に対して、市民団体より、世界文化遺産である原爆ドーム及び周辺地域の祈りの場・追悼の場としてふさわしい環境を損なうおそれがあるとして反対の意見が出されている。また、日本イコモス国内委員会は、かき船が原爆ドームに近づくこと、平和公園の横に位置すること、周辺には慰霊碑が設置されていることから、最終的な意思決定にあたっては、広く市民を交えた徹底的な議論が必要であるとしている。
広島市は、原爆ドーム周辺の景観についての主な考え方として、「市民や広島を訪れる人々が、平和を祈り、平和を考え、やすらぎ、くつろぐことのできる雰囲気を壊さないよう、国際平和文化都市の象徴にふさわしい景観の形成に努める」としている。具体的には、①平和記念公園からの眺望に配慮する、②建築等のデザインや色彩については平和記念公園との調和を図る、③平和記念公園に面する広告物を原則禁止する、等の配慮を行うとし、広島市は、当該かき船が景観上の形態、色彩、広告物等における上記配慮に適合している等の理由で、当該場所への移転を認めている。
かき船については、一方で、水の都広島において歴史を有するものとの考え方もあり、また広島の観光資源の一つであるとの評価もある。しかし他方で、元安橋付近は、毎年8月6日の原爆記念日には鎮魂のために多くの灯籠が流される場所であるとともに、平和の祈りと鎮魂の象徴でもある原爆ドームに近接する場所である。このことを考えれば、元安桟橋付近に酒席を伴う商業施設が接近することは、単なる景観の問題にとどまらず、原爆ドームを中心とする平和記念公園及びその周辺地域の整備・保護の問題から説き起こし、慎重に議論されるべき問題であると思われる。
原爆ドームと同様、人類が犯した悲惨な歴史を将来への教訓とする観点から世界遺産に登録されているアウシュビッツ強制収容所跡の周辺には、飲食饗応のための施設は存在しない。
2006年(平成18年)3月にまとめられた「平和記念施設保存・整備方針」において、「原爆死没者慰霊碑を中心に、慰霊・鎮魂のための聖域としての静けさや雰囲気を確保する」「平和活動や平和文化を発信するための集いの場、来訪者のための憩いの場、賑わいの場を確保する」などが確認されている。そこでは、原爆ドームが広島市の中心部に位置しその周辺には多くの商業施設が存在していることを前提にしているが、必ずしも原爆ドームや平和記念公園周辺における商業施設のあり方等について、世界遺産を抱える広島市における「まちづくり」の観点から十分な検討がなされているとはいえない。
世界平和を発信する責務を担う広島市においては、原爆ドームが世界文化遺産として登録されている世界的な意義に立ち返り、この問題を契機として慰霊・鎮魂のための静謐さの確保と来訪者のための憩いの場、賑わいの場の確保をいかに調整すべきかを改めて検討いただきたい。なお、この度の計画は、広島市民にとっては、既定事項として知らされたものであり、周知手続きが不十分であったことは否めない。
原爆ドームや平和公園を中心とするまちづくりは、広島市民全体の問題である。したがって、今後、市民の声が反映されるべく、制度として議論の場を設けることを検討されたい。
広島弁護士会は、原爆ドームの世界文化遺産登録に際して積極的に取り組み、会内外に協力を呼びかけて約170万名という署名の達成に貢献した。また、当会は、1997年(平成9年)11月に持ち上がったレストハウス解体計画に対し、同建物の解体は原爆ドームが世界文化遺産に登録された趣旨に反するという意見書を提出しレストハウス保存に寄与した。
このように広島弁護士会は、国際平和文化都市広島に所在する弁護士会として、原爆ドームの世界的な価値保全のための活動を継続して行ってきた経緯もふまえ、本会長談話を発することにしたものである。
以上
広島弁護士会
会長 舩木 孝和
広島市は、世界で初めて原子爆弾が投下された都市であり、国際平和文化都市として平和記念公園の整備や原爆ドームの保存を行い、毎年8月6日には平和記念式典を開催し、広島市長が世界に向けて「平和宣言」を発信し続けてきた。
1992年(平成4年)に広島市議会は「原爆ドームを世界遺産リストに登録することを求める意見書」を採択し、同意見に賛同する全国的な署名活動を経て、国は原爆ドームを文化財保護法に基づく史跡に指定したうえで世界遺産委員会に対して登録の推薦をした。その結果、1996年(平成8年)12月、原爆ドームは「人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝え、時代を超えて核兵器の廃絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑」として、ユネスコの平和遺産一覧表に登録された。
世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(以下「世界遺産条約」という)は、日本などの条約締約国に対して、文化及び自然遺産の区域を設定したうえで、締約国の有する全ての能力を用いてこれらの遺産を保護することが義務であることを明記し(4条)、さらに、締約国は、できる限り、これらの遺産の保護や保存を目的として、総合計画、職員配置、科学的及び技術的調査、法的及び行政的な措置をとることとされている(5条)。このように世界遺産条約は、締約国に対し、全面的かつ具体的に、文化遺産の保護を義務づけている。つまり、太田川河川管理を行っている国としても、護岸や橋梁の保護という視点のみならず、世界文化遺産保護の見地からの検討も求められていることになる。さらに、この保護にあたっては、世界的な視野に立ったうえでの対応が必要とされているものである。
国際社会に向けて平和の大切さを発信し続け、自らも世界遺産登録を求めた広島市は、国と一体となって、また独自の立場としても、世界文化遺産としての原爆ドームを保存及び保護する義務を負っているというべきである。すなわち、一般的な都市計画やまちづくりに関する河川法・建築基準法・景観条例等の規制のみによるだけでなく、広島市は、世界文化遺産としての原爆ドームの意義に鑑み、原爆ドーム及び平和記念公園を含む周辺地域をいかにして保護・整備するのかについての諸案を十分に整理し、条例等も含めて保護・整備のあり方を検討するべき時期に来ていると考えるところである。
このたび、元安川に係留する船上飲食店を運営するかき船(以下「かき船」という)につき、従来の位置から約400メートル上流の原爆ドーム近くの元安橋前桟橋付近に移転する計画が明らかとなった。この移転計画までには、次のような経緯があった。
1991年(平成3年)の台風19号の際、かき船が流され平和大橋に衝突し損傷を与えたことを契機として、国は橋梁保護の見地よりかき船の撤去を要請するようになった。2008年(平成20年)以降、広島市は、かき船を観光資源の一つであると位置づけた。かき船事業者は、死水域の一つとされる元安橋前桟橋へのかき船の移動を希望し、広島市は、この移動が、後述の「平和記念施設保存・整備方針」にも沿うものとして、河川管理をしている国に対して都市・地域再生等利用区域の指定要望を出し、国がこれを受けてかき船事業者に対して河川占用の許可を出した。
この今回の移転計画に対して、市民団体より、世界文化遺産である原爆ドーム及び周辺地域の祈りの場・追悼の場としてふさわしい環境を損なうおそれがあるとして反対の意見が出されている。また、日本イコモス国内委員会は、かき船が原爆ドームに近づくこと、平和公園の横に位置すること、周辺には慰霊碑が設置されていることから、最終的な意思決定にあたっては、広く市民を交えた徹底的な議論が必要であるとしている。
広島市は、原爆ドーム周辺の景観についての主な考え方として、「市民や広島を訪れる人々が、平和を祈り、平和を考え、やすらぎ、くつろぐことのできる雰囲気を壊さないよう、国際平和文化都市の象徴にふさわしい景観の形成に努める」としている。具体的には、①平和記念公園からの眺望に配慮する、②建築等のデザインや色彩については平和記念公園との調和を図る、③平和記念公園に面する広告物を原則禁止する、等の配慮を行うとし、広島市は、当該かき船が景観上の形態、色彩、広告物等における上記配慮に適合している等の理由で、当該場所への移転を認めている。
かき船については、一方で、水の都広島において歴史を有するものとの考え方もあり、また広島の観光資源の一つであるとの評価もある。しかし他方で、元安橋付近は、毎年8月6日の原爆記念日には鎮魂のために多くの灯籠が流される場所であるとともに、平和の祈りと鎮魂の象徴でもある原爆ドームに近接する場所である。このことを考えれば、元安桟橋付近に酒席を伴う商業施設が接近することは、単なる景観の問題にとどまらず、原爆ドームを中心とする平和記念公園及びその周辺地域の整備・保護の問題から説き起こし、慎重に議論されるべき問題であると思われる。
原爆ドームと同様、人類が犯した悲惨な歴史を将来への教訓とする観点から世界遺産に登録されているアウシュビッツ強制収容所跡の周辺には、飲食饗応のための施設は存在しない。
2006年(平成18年)3月にまとめられた「平和記念施設保存・整備方針」において、「原爆死没者慰霊碑を中心に、慰霊・鎮魂のための聖域としての静けさや雰囲気を確保する」「平和活動や平和文化を発信するための集いの場、来訪者のための憩いの場、賑わいの場を確保する」などが確認されている。そこでは、原爆ドームが広島市の中心部に位置しその周辺には多くの商業施設が存在していることを前提にしているが、必ずしも原爆ドームや平和記念公園周辺における商業施設のあり方等について、世界遺産を抱える広島市における「まちづくり」の観点から十分な検討がなされているとはいえない。
世界平和を発信する責務を担う広島市においては、原爆ドームが世界文化遺産として登録されている世界的な意義に立ち返り、この問題を契機として慰霊・鎮魂のための静謐さの確保と来訪者のための憩いの場、賑わいの場の確保をいかに調整すべきかを改めて検討いただきたい。なお、この度の計画は、広島市民にとっては、既定事項として知らされたものであり、周知手続きが不十分であったことは否めない。
原爆ドームや平和公園を中心とするまちづくりは、広島市民全体の問題である。したがって、今後、市民の声が反映されるべく、制度として議論の場を設けることを検討されたい。
広島弁護士会は、原爆ドームの世界文化遺産登録に際して積極的に取り組み、会内外に協力を呼びかけて約170万名という署名の達成に貢献した。また、当会は、1997年(平成9年)11月に持ち上がったレストハウス解体計画に対し、同建物の解体は原爆ドームが世界文化遺産に登録された趣旨に反するという意見書を提出しレストハウス保存に寄与した。
このように広島弁護士会は、国際平和文化都市広島に所在する弁護士会として、原爆ドームの世界的な価値保全のための活動を継続して行ってきた経緯もふまえ、本会長談話を発することにしたものである。
以上